今年は猛暑の影響で、キノコ類が豊作だそうですが、この時季、野菜売場で
目につくのがやはり松茸。
買う予定はないのに、つい足を止め、値段を見て、すごすごと立ち去るのが
毎年秋の恒例行事になっています。
今年も国産松茸とは縁がないと思っていたのですが、家族が長野産の大きな松茸を頂いてきました。
一本の松茸を巡り、どう調理するか意見が分かれました。
お吸い物、土瓶蒸し、炊き込みご飯、焼き物、天婦羅。
結局、一番松茸に恋い焦がれていた次男の希望を採択。
丸焼きにして、家族分に割いていただきました。
あっという間に食べ終わり、ん、こんなものかな…?と思ったのですが、
鼻孔を膨らませながら、「すごくいい香りだね」とゆっくりと味わっている次男の満悦顔を眺めているうちに、昔、英語の授業で読んだ本のことを思い出しました。
19世紀初頭のイギリスの作家の随筆だったと思います。パンと僅かな干し肉と安ワインを持って家族でピクニックに行った若かりし頃を、名声を得て豊かになってから懐かしく思い出すという話で、「贅沢な食事も出来るようになったが、あの頃の食事程楽しく幸せなことはなかった」とあり、豊かさの本質を教えてもらった気がしています。
我が家に到来した一本の松茸から、庶民の暮らしは、斯くもささやかな事柄に喜びを見出す才能を与えるものだと、感慨深い夕餉の一時でした。(niko)